秋山珠子×唐津絵理 対談 NDTリハーサル・ディレクターの役割

2024.06.28

いよいよNDT1が来日!
NDTに所属するアーティストと統括プロデューサー唐津絵理による対談シリーズです。
第二弾は、芸術監督がナチョ・ドゥアトの時代のスペイン国立ダンスカンパニーのプリンシパルとして活躍されていた秋山珠子さん。現在、NDTのリハーサル・ディレクターを務められています。
スペイン国立バレエ団時代のお話から、リハーサル・ディレクターの仕事、客観的な立場からNDTの魅力まで、様々なお話を伺いました。

 

 

スペイン国立バレエ団時代について

唐津絵理(以下唐津):個人的に、秋山さんはスペイン国立ダンスカンパニーのイメージがとても強いです。NDTでの活動を知らない方も多いのではないかとも思います。まず秋山さんのキャリアについて教えていただけますか?

秋山珠子(以下秋山):バレエを始めたきっかけは、母が踊りが好きだったことです。北海道の旭川でバレエの公演があり、母が見に行く時に私も連れて行ってくれました。それがきっかけで、4歳の時に地元の内山玲子バレエスタジオでバレエを始めました。最終的にはローザンヌ国際バレエコンクールでモナコのマリカ・ベゾブラゾヴァ校長に出会い、マリカ校長からの推薦で奨学金をいただいてモナコに留学しました。卒業後はシュツットガルト・バレエ団に入団し、7年間活動しました。その後、同バレエ団で一緒に全盛期を築き上げたマリシア・ハイデとのパートナーシップで知られ世界的なスターであったチャード・クラガンが ベルリン・ドイツ・オペラの芸術監督に就任した際に、私も招かれて移籍。その後、クラガンがブラジルでカンパニーを始めることになり、私はどうしようかと考え、オーディションを受けてスペイン国立ダンスカンパニーに入団しました。

唐津:その時、ナチョ・ドゥアトが芸術監督だったのですか?

秋山:そうです。彼が芸術監督に就いてから10年ほど経っていました。

唐津:彼の振付作品を踊りたくて、スペイン国立ダンスカンパニーを選んだのですか?

秋山:そうですね。他のバレエ団も見たのですが、カンパニーに入団する前に観たナチョのカンパニー公演で、彼の作品やダンサーが素晴らしく感動しました。私にとって学べる事がたくさんあると思ったからです。

唐津:新しい振付家の作品を踊りたかったということでしょうか?

秋山:そうです。ナチョとは、シュツットガルト・バレエ団時代に一度仕事をしたことがありました。ナチョの世界、彼の作品に強く惹かれましたし、彼と一緒に作品を作り上げる過程にとても興味を持ったからです。

唐津:新しい時代の振付家、生きている振付家と一緒にクリエイションをすることに喜びを見出したのですね。

秋山:そうです。スペイン国立ダンスカンパニーでは、芸術監督が振付家でしたので、じっくり彼の作品に携われる環境でした。そして、ナチョの作品以外にもマッツ・エックをはじめ、イリ・キリアンやウベ・ショルツなど他の振付家がクリエイションに来てくださったため、素晴らしい機会に恵まれたことも本当に貴重な経験になりました。

唐津:ナチョの創作プロセスは、どのようなものでしたか?

秋山:ダンサーが全身全霊で身を捧げるようなものでした。彼もまだ若く、素質のある素晴らしいダンサーであり、アーティストでしたので、特に入団したての頃には彼に認めてもらわなければいけないと感じていました。

彼にとっての最初の振付作品はNDTのために作られたもので、賞も授与していました。一方で、スペイン国立ダンスカンパニーの芸術監督としての初期の頃は、認めてもらうのに時間がかかり大変だったようです。ナチョの前には、マヤ・プリセツカヤさんが芸術監督をしていらっしゃった時代で、ダンサーの皆さんは、古典バレエのレパートリーに踊り慣れていました。その中、彼は裸足で踊る作品なども持ってきていたため、公演後にトマトを投げられることもあったと言う話を聞いたほどです。彼のカンパニーへの貢献が認められ、その努力が実を結んで世界的に有名にしたと思います。

唐津:ナチョは、秋山さんにとってどんな存在でしたか?秋山さんはある意味、彼の振付思想を体現する存在だと思っていました。

秋山:とにかく彼は自分のスタイルにこだわりを持っていて、本当に徹底していたため、私達ダンサーに最高のものを求めました。技術的な事はもちろんのこと、身体の使い方、そして音楽性をとても重視しており、いつでも緊張感あふれる空気の中で練習が行われていたことが懐かしいです。

唐津:そんな環境でも、ナチョの作品を踊ることは秋山さんの身体にフィットしているとか、やりがいを感じたんですか?

秋山:そうですね。同じ作品を何度も繰り返して上演することもあります。そのため、「初心者に戻ったつもりで」という気持ちを大切にしていました。毎日、私自身との戦いでもありましたが、精一杯努力を惜しまず、前向きに仕事に取り組むよう心がけていたと思います。

唐津:それで、ナチョが辞めた時に、秋山さんも辞められたのですか?

秋山:実はナチョが辞める前に妊娠したんです。40歳で妊娠したのですが、その後パリ・オペラ座のホセ・カルロス・マルティネスが芸術監督となり、最終的に15 年間在籍、45歳で引退、その後3年間の間はフリーランスとして踊り続けました。


NDTでの役割

唐津:その後、NDTに入った時は、最初からリハーサル・ディレクターとしてのポジションだったのでしょうか?

秋山:そうです。48歳のときに入団しました。

唐津:秋山さんのリハーサル・ディレクターという仕事は、日本であまりないと思います。バレエ・ミストレスと呼ばれる役割とは異なるのでしょうか?
バレエ団によっても仕事の内容が違うのではないかと思いますが、NDTの場合、どのような仕事をすると理解されていますか?

秋山:そうですね。バレエ・ミストレスと仕事内容は変わりませんが、NDTではリハーサル・ディレクターと呼ばれています。新作の多いNDTでは、来シーズンは第3プログラムだけですが、今シーズンは、4つのプログラムまでありました。そうした振付制作プロセスの際に、ダンサーや振付家のアシスタントとしてより良いプロセスになるように援助することが大きな仕事のひとつです。そして、ダンサーやアーティスティックスタッフ、創作プロセスに関わるさまざまな部門の方々とコミュニケーションをとって、連携しながらより良い環境を作っていくことが重要だと思っています。

唐津:振付家の意図通りにダンサーが踊っているかを管理、チェックする役割も担われていますよね?

秋山:そうです。振り写しを済ませて、ステージャーの方がいなくなった時に、リハーサルを受け持つのが私たちです。作品の内容をしっかり把握していないとリハーサルもできません。そして各ダンサーが自らの視点で作品を解釈し、個性や創造的なセンスを活かし、自分のものにしていくことを重視しています。



今回の来日作品について

唐津:リハーサル・ディレクターとして関わることで、作品についても客観視ができる立場だと思います。今回の作品の魅力についてどのように思われますか?

秋山:『Jakie』は、霧の中に迷いこんだように作品がスタートします。ずっとそこに存在していた何かを感じ始め、それが少しずつ明確になっていきます。亡き坂本龍一さんの音楽に心打たれ、時には涙してる私がいます。ダンサーは、ほとんどはじめから終わりまでつま先立ちで踊るため、身体、そして精神的にとてもハードルが高いと思いますが、徐々にトランス状態に入ったかの様に汗だくになりながら踊り続けるんです。この作品はどこで上演してもお客様を魅了し大成功を収めているため、日本のお客様の反応に興味があります。

唐津:今のNDTの魅力と日本のお客様に見ていただきたいことは何ですか?

秋山:NDTは非常にクリエイティブなカンパニーです。世界で選び抜かれた才能あるダンサー達が踊る公演を見て、感動を分ち合っていただきたいです。そこに他のバレエ団にはない良さがあるのではないかと思います。シャロンやフォーサイスの作品を上演しているカンパニーは他にもありますが、今回上演する『Jakie』や『La Ruta』は今のところはNDTでしか上演していないため、ぜひ日本のお客様にも味わっていただきたいと思います。

唐津:例えば前回来日した『The Statement』など、当初はNDTのために作られていましたが、今は英国ロイヤルバレエ団でも踊られていたりしますよね。どのようなダンサーと作るかによって、作品のクオリティが変わってくるため、最初にNDTのダンサーと一緒にクリエイションされたという点がとても重要だと思っています。NDTには、振付家の思いを実現できるダンサーが揃っているということの証なのかなと思っています。

秋山:日本で公演できる事にとても感謝しています。そしてお客様にも全身全霊で踊るアーティスト達の姿をご覧いただき、NDTの素晴らしさを実感していただけたら光栄です。日本に行けることを楽しみにしています。

 

 

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